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加賀、越前、美濃の三馬場
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白山曼茶羅図の絵解き・越前馬場と美濃馬場
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加賀、越前、美濃の三馬場
馬場(ばんば)は白山登拝の起点となる遥拝地。平安中期以降、白山信仰の拠点として、加賀は石川県白山市(旧鶴来町)の白山比め神社、越前は福井県勝山市の平泉寺白山神社、美濃は岐阜県郡上市白鳥町の長滝白山神社を中心に開かれた。
加賀では、鎌倉から室町期に白山太神宮(しらやまだいじんぐう)と呼ばれ、壮麗(そうれい)な堂社群(どうしゃぐん)を誇る本宮だったが、やがて戦国期の動乱とともに衰微(すいび)した。1583(天正(てんしょう)11)年、前田利家が金沢城主となり、その後も代々の加賀藩主の手厚い保護を得て復興をなし、今日の礎(いしずえ)が築かれた。明治維新の神仏分離令により、銅造十一面観音立像(どうづくりじゅういちめんかんのんりゅうぞう)などが、白山山頂から下ろされ、白山市(旧白峰村)の林西寺(りんさいじ)境内に安置されている。
越前馬場の中心である平泉寺は、養老年間(717〜723年)、泰澄大師の創建と伝えられる。平安時代後期に比叡山延暦寺の末寺となって、勢力を伸ばし、最盛期の室町時代には9万石の寺領と48社、36堂、6000坊を数え、僧兵8000人が住んでいたとされる。その後、戦国期の1574(天正2)年、一向一揆衆の焼き討ちに遭って、壊滅したが、その9年後に当時の学頭、顕海(けんかい)によって再興され、現在に至っている。
美濃馬場の中心は長滝白山神社。神仏習合の時代は白山中宮長滝寺と呼ばれた。養老年間(717〜723年)に泰澄大師の創建と伝えられ、828(天長(てんちょう)5)年に、三馬場では最も早く比叡山延暦寺の末寺となって以降、勢力を伸ばした。最盛期の平安末期に6谷、6院、360坊を数え、「上り千人、下り千人、ふもと千人」「笠の端をすり」と言われるほど、白山登拝者でにぎわったが、戦国期に浄土真宗に押されて、勢力が衰えた。1899(明治32)年には火災で堂舎のほとんどを焼失したものの、境内はほぼ同じ配置で再建された。また美濃では、長滝白山神社の北約10キロにある石徹白(いとしろ)の白山中居神社も白山信仰において重要な役割を果たした。石徹白は江戸期まですべての住民が神社に仕えたという特異な地区で、住民は「御師(おし)」として全国を回り、白山信仰を広めた。奥州藤原氏との関係も深く、地区には藤原秀衡(ひでひら)が寄進したと伝わる銅造虚空蔵菩薩坐像(こくぞうぼさつざぞう・国指定重要文化財)があるほか、秀衡の家来たちが移り住んだという伝承もある。
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